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Channel: ロシアぶろぐ(仮)~目指せ1日1ロシアネタ~
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【今日は何の日?】5月24日は「スラブの文字と文化」の日

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Привет\(^o^)/

昨日は東京の西部、立川市にある昭和記念公園で行われているフードフェスタ「まんパク」に行って来ました☆

↓↓広大な敷地にたくさんの店舗が並んでいます↓↓


ご当地グルメをはじめ、たくさんの屋台が出ていましたよ!

<私が食べたもの>
・津山ホルモンうどん
・八ヶ岳スモーク・全部盛り
・うにの貝焼き
・たこ焼き
・スノーアイス
・メロンまるごとクリームソーダ
・伊勢屋だんご


どれも美味しかった\(^o^)/

あっ、全部一人で食べたわけじゃないですよ!シェアして食べました!

↓↓メロンをまるごと1個使ったクリームソーダはインパクト大↓↓



同じ敷地内にある「昭和記念公園」は、1日では回り切れない広さです。

とても久しぶりに凧揚げをしましたw



ちなみに凧はロシア語でвоздушный змейと言うんですが、змейってもともと「蛇」って意味ですよね?なんで凧になったんだろう( ゚д゚)

一説によれば、中国の龍の形の凧からその呼び名がきたとも言われていますが、よくわかりませんw

たしかにロシアでは龍=蛇ってイメージあるよね。ロシアの国章にも描かれている聖ゲオルギーの竜退治とかさ、完全に蛇だもんね。

「まんパク」は6月3日までやっているそうです。興味のある方は是非。
→リンク:まんパク


ということで、昨日はДень славянской письменности и культуры(スラブの文字と文化の日)について書こうと思っていたんだけど、遊び疲れてメイクしたまま寝てしまうという愚行を犯してしまったので、今日書きますw





「スラブの文字と文化成立の日」から1150年を迎える

ブルガリアではスラブ・アルファベットの誕生日を祝う

スラブ系文字の故郷であるブルガリアにおいて、5月24日は民衆に最も尊敬され愛されている祝祭日の一つである。今年、この日付は特別なものである:スラブの文字体系と文化が作られた日から1150年を迎えるのだ。ブルガリアではこの日はもう以前から、全国で祝われる国家的な祝日と認められており、民衆には非公式に「ことばの日」と呼ばれている。

ロシアでもブルガリアでも用いられており、言語・文学研究者の試算では全世界で3億人以上が使用しているアルファベットは、聖キリルと聖メフォージーによって作られたということを忘れてはならない。彼らは教会の書物をスラブ語に翻訳しながら布教したのである。あるいは彼らはよく「最初の先生」と呼ばれるが、これは彼らが一般の人々に母語での祈りの機会を与えたからであり、このことがスラブの文字と文化の普及にとって非常に強い刺激を与えることとなった。

現代のキリル文字は当時のアルファベットとはかなり異なっていた。キリル文字は世界に広まり、スラブの民族をまとめる役割を果たしたが、それが生まれた場所はまさにブルガリアであった。そこでキリルとメフォージー兄弟の弟子たちが、非常に教養があり先見の明がある人物だったブルガリアの専制君主ボリス王の援助のもと、キリル文字を保ち発展させることができたのである。それゆえに、全国で5月24日にはスラブの文字と文化をテーマにした大規模な行事が行われる。「ことば」をテーマにした多くの展示会が開催され、多くの学術フォーラムが行われている。海沿いのブルガスという町では、地域の小中学校の生徒700人以上が、キリルとメフォージーの歌を同時に演奏する記録に挑戦した。そのほかに、この日、伝統的に学業で優秀な成績を修めた生徒や大学生たちが表彰されるが、5月24日は、ある意味卒業記念ダンスパーティーの開始日ともなっている。

もう一つの現代的な側面も忘れてはならない。ブルガリアがEUに加盟したおかげで、2013年、キリル文字での表書きが初めて新5ユーロ札に現れたのである。実際は、それに先んじてEUでは様々な合意のかなり長い過程があったのだが、ブルガリア人はヨーロッパ共通のお金にスラブの文字を載せることを強く要請した。紙幣が徐々に補充される過程で、キリル文字が記載された紙幣には別の利点が見られるようになる。実際、ブルガリアのマスコミが伝えているように、ヨーロッパのある国で、キリル文字の表書きのある紙幣で支払おうとした人が、偽札の使用の容疑で逮捕されそうになった。しかしながら、誤解はすぐにとけたという。


5月24日はキリル文字の名前のもとになった「キリルさん」の誕生日だそうですね。

現在使われているロシア語の文字は、9世紀末に現在のブルガリアで作られたキリル文字がベースになっています( ・ω・)

ちょっと長くなるけど、キリル文字の歴史について。興味がある人は読んでね。


***

キリル文字の成立より少し前の863年、スラヴ最古の文字であるグラゴール文字が誕生しました。この文字を考えたのはビザンチン領マケドニアの大都市、テッサロニケ(サロニカ)生まれのキリル(キュリロス/本名コンスタンティヌス)とメフォージー(メトディオス/キリルの兄)でした。

862年、大モラヴィア国のロスティスラフ公は、新たにキリスト教を受け入れたスラブ人のためにスラブ語でキリスト教を説くべく、ビザンツ帝国皇帝ミカエル3世に宣教師の派遣を依頼しました。 当時、大モラヴィア国はローマ教皇とつながりのある隣国のフランク王国とその教会の影響下にあり、すでにある程度キリスト教化していました。しかしロスティスラフ公はフランク勢力の浸透を嫌い、政治的にあまり影響のないビザンツの教会から宣教師を呼ぶことにしたのだそうです。

そこで選ばれたのがキリルとメフォージーでした。キリルは若くして哲学の教授となったほどの教養人で、皇帝の特使としてチグリス河畔のアラビア人や、カスピ海西岸のハザール人への外交使節を務めたこともある人物。兄のメフォージーは修道士としての生活を送っていましたが、かつてはビザンツの行政長官をしたこともあるというエリート。さらに彼らの出身地であるテッサロニケには多くのスラブ人が住んでいたので、彼らはスラブ語(南スラブ語・マケドニア方言)を理解することができました。当時モラビアで話されていたスラヴ語は、兄弟の知っていたスラブ語とは多少違っていましたが、当時のスラブ諸語はまだ違いがそれほどはっきりしていなかったので、お互い容易に理解することができました。高い教養とスラブ語の知識を持った兄弟はまさにこの役にうってつけだったのです。

キリルとメフォージーは863年早春、スラブ人の弟子たちとともにビザンツを出発し、秋にモラビアに到着しました。彼らは40ヶ月モラビアに滞在し、教会文献を自分の考案したスラブ文語に翻訳し、弟子の育成にも努めました。やがてキリルはこのスラブ文語を典礼に導入しました。当時ローマ教会では、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語以外の言語で典礼を行うことは許されていなかったので、キリルのこの行動はフランクの教会を大変に驚かせました。

866年の終わり(あるいは867年の初め)、兄弟は自分の弟子を叙階してもらうために、モラビアを出てベネツィアに向かいました。ベネツィアで彼らはローマ教皇の正式な招待を受け、867年末(あるいは868年の初め)、ローマに到着しました。教皇はメフォージーとスラブ人の3人の弟子を叙階したばかりでなく、スラブ語での伝道もみとめました。こうして一通りの目的を達した兄弟でしたが、キリルは病にかかり、869年に42歳の若さで死んでしまいます。

メフォージーはその後、ローマ教皇の後ろ盾のもと特使としてパンノニアで活動しましたが、支援者であったモラビアのロスティスラフ公が失脚し、フランクに対して好意的な公が即位するなどしたため、ついにモラビアでの布教は実を結ぶことはありませんでした。メフォージーは885年に死に、弟子は投獄、追放されてしまいました。

結局、兄弟のモラビアおよびパンノニアでの活動は実を結ぶことはありませんでした。しかし彼らの弟子たちがその事業を受け継ぎました。弟子たちは新しい公によりモラビアを追われましたが、一部はボヘミアへ、一部はクロアチアへ、そして大部分はブルガリアに逃れました。 スラブ語を用いてキリスト教を広めようとしていたブルガリアのボリス王は、弟子たちをあたたかく迎えました。このボリス王のもとで、弟子たちがギリシャ文字を参考にしてキリル文字を作りました(以前はキリル文字を作ったのはキリル自身であると考えられていましたが、実はグラゴール文字であったようです)。キリル文字はグラゴール文字と並行して使われていたようですが、キリル文字の方が字体が簡明だったので、教会文献の翻訳に広く使われるようになりました。

このようにして、ブルガリアで多くの教会文献がギリシャ語からスラヴ語に翻訳されました。このとき用いられたスラブ文語を「古代教会スラブ語」と呼びます。 

キリル文字がロシアに入ってきたのは、ウラジーミル公がキリスト教を正式に採用した988年以降のことです。古代教会スラヴ語で書かれた福音書などの教会文献が、ブルガリア経由で大量に入ってきました。上にも少し述べたように、当時はスラブ語同士の違いがあまりはっきりしていなかったので、古代教会スラブ語で書かれた文章はロシア人にも理解できたそうです。

その後、文章語である古代教会スラブ語は、口語である古スラブ語と次第に融合し、近代のロシア語となっていきました。

たとえば、「町」という言葉は現代のロシア語ではгородと言いますが、градという言い方もあります。レニングラードとかボルゴグラードみたいに「グラード」とつく町は結構ありますよね。これらはそれぞれ「レーニンの町」とか「ボルガの町」という意味です。

град(グラード)は、古代教会スラブ語に由来する方の「町」です。口語より文章語の方が格調高いというわけですね。

さて、文字の方は18世紀まで大幅な変更なく使われ続けました。18世紀初頭にピョートル大帝は「近代化」の一環として文字改革を行いました。ピョートル大帝は西欧の活字体を参考にして、キリル文字を印刷に適した文字に「改革」したのでした。いくつかの文字を削除したり、変えたり、加えたりしました。ピョートルが考案したこの文字は「民間アルファベット」と呼ばれています。

1918年、十月革命の直後、「新正書法」が施行されました。これは文字とつづり字の規則を定めたもので、現在のロシア語もこれに従っています。

以上は、名著『古代教会スラブ語入門』(木村彰一著)を参考にまとめたもので、数年前に某サイトに載せたものです。


***

ところで、記事に「5ユーロ札にキリル文字」との情報があったので探してみました。


ホントだ( ゚д゚)

ЕВРОって書いてあるし、左側にはЕЦБ(欧州中央銀行)って書いてある!


何か西側の紙幣にキリル文字が書かれてるって不思議な感じするよねw

ちなみに、スラブの国々なのにキリル文字を使う国とラテン文字を使う国がある理由は、その国が正教の国なのか、それともカトリックの国なのかということに大体一致します。

だから、スラブ語派のポーランド語やチェコ語なんかはスラブ語にもかかわらずラテン文字を使うんですね。興味深いです。




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